監督紹介



監督:古厩智之

古厩智之(ふるまやともゆき)
1968年生まれ。長野県出身。日本大学藝術学部映画学科卒。
大学時代に監督した「灼熱のドッジボール」が、1992年ぴあフィルムフェスティバル (PFF) でグランプリを受賞。
1994年 「この窓は君のもの」で長編デビュー。同作は、第35回日本映画監督協会新人賞を贈呈された。
2001年「まぶだち」で、ロッテルダム国際映画祭タイガーアワードグランプリ&国際批評家連盟賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、文化庁優秀映画賞を受賞。
2003年「ロボコン」長澤まさみ初主演作
2005年「さよならみどりちゃん」フランス・ナント三大陸映画祭銀の気球賞(準グランプリ)を受賞。
2008年「奈緒子」
2008年「ホームレス中学生」
2010年「武士道シックスティーン」
近年はテレビドラマの演出でも活躍。
2012年「つるかめ助産院~南の島から~(NHK)」ATP賞テレビグランプリ優秀賞を受賞。

INTERVIEW
映画化するにあたり、原作を読んだ最初の印象はどのようなものでしたか?

最初に丹羽プロデューサーから依頼がありまして。この原作で映画をつくってみないか、と。で、お引き受けてしてから、原作を読ませていただいたんですが、実は正直いうと…ちょっと困りました。原作は、良い人たちの「いい話」が連なって構成されているんです。でも、映画にするにはこのままという訳には行かないよなあ、と。まずは、脚本家と色々揉んでいったんですけど、まあ、なかなか進まなくて。どうやったら原作の持ち味を活かしつつ映画にしていけるのか、という事に思ったよりも苦戦しましたね。

原作の主人公はすごく素直な少年なんですよね。最初の出会いで「あ、そうか」と切り替えてからは、出会う人の助言や事象をとても素直に受け止めてどんどん成長していくんです。でも映画という時間の流れの中では、そのままでは難しいなと。まず映画にするにあたりキャラ設定というか、和也に何かしらの特徴を持たせたくて「北の国から」の純のような、ちょっとダメな奴はどうかなと考えました。でも、原作の少年が持っている素直さは持ち合わせていたい。試行錯誤の末、自分自身がこのぐらいの歳の時はどうだったかなと、自分に引き寄せて掘り下げてみたんです。そしたら常に人の視線を気にしていた事を思い出して。ただ、友達にどう思われているのかばかり気にしていた頃って、自分がその渦中にいるときは、その痛さに気づいていないんですよね。もや~っと形がなくて分からないけど、なんか苦しい、みたいな。僕自身はそうだった(笑)。そういう意味で、冒頭の学校のシーンは40代になった自分の視線が結構入っています。10代の子たちが観ると、実際とは違うかも知れないですね。友達と一日に何十通もメールをやり取りしたり、常にLINEで繋がっていたりする今の10代が、映画の中の和也のように、自分の意識をハッキリ言葉にする事はない気もするしね。渦中にいる子供達はその「なんだか痛いもの」を意識していないから、ある健康さを保っている、というのが「今」なんじゃないかな。でも、この映画では和也の部分を自分に引き寄せて描いているので、ある種の葛藤が常にあったんです。古いかなあ、みたいな。「今」の部分は主演の佐野君に委ねた感じですね。今っぽくなっているとすれば、彼なりの「今」が、そこに表現されていたという事なんじゃないかな。

原作では色々な出来事があった後に、学校や家族の元に帰った時の事が描かれていますが、映画では帰っていく和也で終わっています

一応、帰ってからの学校のシーンも撮っているんです。でも、何かが違う感じがして全てカットしました。もうここに帰らなくてもいいんじゃないかと。まあ現実には「ただいま~」と言って帰っていって、普段の日常がはじまるんでしょうけど、そこは(映画で)言わなくてもいいような気がしたんです。また入口に戻らなくても良いかと。観ている人の想像を限定するのは勿体ないというか。旅は帰れば終わるんだけど、実は和也の旅はそこから始まるんですよね。彼の人生というのかな。そういう意味では、この時点で和也はまだ、家族ともちゃんと出会っていない。それは友達とも同じで帰って初めて、出会ってない事実に気づくんだろうと思うんです。「ただいま」といいながら、本当の「ただいま」はまだ言えない部分があるんじゃないかと。ここからはまた別の話なんじゃないかな。これまでとちがう「出会い」の旅が始まるんですよね、多分。やっと出会える様になった和也の旅が。

※全インタビューは劇場パンフレットに掲載